「スピッツですか?」

午前7時、起床。
早朝からの雨が降り続く。台風23号が発達しながら沖縄に近づいているとのこと。
この分では、トワの散歩はできそうにない…。「トワ、雨ジャブジャブだ…」(cf.April30) 

正午を回って、雨が小降りになる。この雨ではどうだろうか…と迷いつつも、「お散歩」をせがむトワの真剣な眼差しに気圧(けお)される―。

12:27、傘をさしながら、自宅を出る。
→百歩坂の路→ジョギング通り
→古桜小路→まがり小路
→松風通り→井ノ頭通りの“裏道”
→百歩坂の路→まがり小路
→ふれあい小路→公園東通
井の頭公園“散策路”→神田川遊歩道
→“間道”→“坂道”
→平成通り→公園東通り→百歩坂の路
→13:17、帰宅。

この間、かっきり50分。霧雨が絶え間なく空気を湿す。
道々、道路空間のどこを見渡しても、犬と散歩中の者は、私以外に誰もいなかった。
また、午後零時55分頃に通り過ぎた井の頭公園の“散策路”周辺(園内)は、誰ひとり人影もない、底抜けの静寂に包まれていた。

雨中とあって人通りが余りに少なかった。
私は例の“坂道”を上りきった時点で、内心〈今日の散歩は、誰とも言葉を交わさずに終わるだろう〉と思った。
ところが、散歩の終盤に及んで、「百歩坂の路」に差しかかったとき、通りがかりの一人の中年女性がトワにそろそろと近寄って、口を開いたではないか。
「まあ、可愛いこと!スピッツですか?」
それは例によって例のごとく、毎度お馴染みの言葉だった。

私は一体、この「スピッツですか?」の質問を、これまでに何度、受けてきたことだろうか。
トワが「わが家族」の一員となって早12年3か月が経つ(cf.May8)。
その間、トワという犬の品種[犬種(けんしゅ)]について質問した人は、恐らく数百人に上るだろう。何しろ当の質問者が日に5、6人を数えた時期もあり、一人の質問者も出ない日が例外的な時期もあったほどだ。
大多数(8割方)は、「スピッツ」と当て推量で言った。しかし一部(1割方)が「ポメラニアン」と、また一部(1割方)が「スピッツorポメラニアン」と、あれこれ推測した。

私は生来、犬が大好きで、幼時より犬という生命体そのものに無性に惹かれつづけてはきた(cf.May8)。
とはいえ、「犬種」という生物集団の単位の問題〜つまりは、犬の「区別・差別」化の問題〜は、私にとって片々たる些事であり、日常的な関心事ではなかった。
だからこそ、私はこの12年ばかり「犬種」問答に出会うたびに、人は〜日本人というべきか〜何故これほどまでに「犬種」にこだわるのかと、しきりに訝(いぶか)しがったものだ。
そして時折、その質問に一々まともに答えるのが億劫になり、「ああ、そんなところです…」とあいまいに相槌を打ったり、「あなたは人種や民族の問題には関心がありますか?白色人種・黒色人種・黄色人種朝鮮人・中国人・日本人・ユダヤ人などなど、どうですか…」と皮肉っぽい口調で応じたりした。

では、本当のところ、トワはどういう犬種なのか。
私は去るMay8(5月8日)の日記に、トワが“捨て犬”である点に触れておいた。
したがって結論は、はっきりしている。トワの犬種名は私には〜否、多分だれ一人として〜よく分からないということ。

トワが4、5歳の頃だったと思う。
私の息子は、当時掛かり付けの獣医さんから、トワの犬種に関する、大略こんな話を聞かされた(cf.May31)。

・トワはちょっと見には、「スピッツ」のように見える。けれども、子細に観察すれば、トワは純粋の「日本スピッツ」ではない。
スピッツは光沢のある純白の長い被毛が特徴といわれるが、トワはホワイトの豊富な被毛をベースに、部分的に薄茶色の被毛も持つ。スピッツは一般に「神経質でキャンキャン吠える、うるさい犬」だが、トワは社交的で、「知的で穏やかな性格」を形成している。
・トワの鼻先と顔形は、基本的に純粋「ポメラニアン」のそれである。速断すれば、トワはスピッツポメラニアンの交雑種ではないか。
・しかし熟考するとき、トワは純粋“サモエド”の小型版ではないかとも思う。
サモエド(英語:Samoyed)は、ロシアのシベリアを原産地とする犬種で、典型的なスピッツ系の体型をしており、シベリアン・スピッツとも呼ばれる。
一般にポメラニアン(旧称:ジャーマン・ツヴェルク・スピッツ)の祖先犬は、このサモエドであるという。
日本スピッツ(日本原産)もまた、サモエド(←大正末期から昭和初期にかけてモンゴルまたは満州から日本に移入された)にドイツ原産のジャーマン・スピッツ(英語:German Spitz)を交配して小さく改良し、純白に固定化したものといわれる。

私はこの御説を又聞きしながら、瞬間思ったものだった。やれやれ、やってらんねーな!と。

そもそも、この種の論法そのものが問題なのだ。
スピッツポメラニアンサモエド…と言い、日本スピッツ、ジャーマン・スピッツ、シベリアン・スピッツ…と言い、そこへ持って来て“純粋種”や“雑種”を云々する―。
一体全体、サモエド(シベリアン・スピッツ)+ジャーマン・スピッツによる「日本スピッツ」の誕生(交配種)とは、何を物語るものなのか。
だいたい、「純粋」スピッツ/「純粋」ポメラニアン/「純粋」サモエドの存在を想定すること自体が、“共同幻想”に囚われて“個”的立脚地を喪失した人間のイデオロギー的臆断にほかならない。

そこでは、恣意的な言語が容易に幻想化し、自己完結的に実体化してしまう。
例えば、バラク・オバマBarack Obama、第44代アメリカ合衆国大統領)の出生について、「彼は1961年8月4日に、バラク・オバマ・シニアおよびアン・ダナム夫妻の息子として生まれた」といった価値中立的な表現にとどまらず、次第に自己運動的に、「彼はアフリカ黒人〜ケニア出身〜とアメリカ白人〜カンザス州出身〜の間に生まれたハーフ」→「父親・ネグロイドの血と母親・コーカソイドの血を半分ずつ分有する混血の人」といった実体的・価値判断的な表現が前景に押し出されてくる。
そしてさらに、幻想共同体の御都合主義のなせるがままに、いったん混血種〜白人でもない黒人でもない、否、白人でも黒人でもある!?〜とされたオバマも翻って先祖返り的に、「黒人」という一義的なレッテルを貼られたりもする。

オバマが2008年11月4日実施のアメリカ大統領選挙に勝利した際、日本の各マスコミによるオンラインニュースの見出しおよび記事は、次の通りだった(抜粋)。

読売新聞:「米大統領オバマ氏、黒人で初…民主8年ぶりに政権奪回」
産経新聞:「【米大統領選】オバマ氏当選、初の黒人大統領誕生」
毎日新聞:「米大統領選:オバマ氏が当選 史上初の黒人」
日経新聞:「米国初の黒人大統領となる民主党バラク・オバマ上院議員
(ちなみに、朝日新聞は「オバマ氏当選、米史上初のアフリカ系大統領誕生へ」と謳い、それなりの見識を見せている。)

私は折あるごとに、息子とざっくばらんに語り合ってきた。
オレ(父)とオマエ(長男)は、“純粋”日本人なのかね…!?
オレとオマエの4代、5代前の「ご先祖様」って、どういう人たちだったのか、“純粋”日本人だったのかね…!?

私は日に一度、トワに、その表情の豊かな目を見つめながら、心をこめて語りかけてきた。
トワよ、お父さんはオマエがサモエドだろうが、ポメラニアンだろうが、スピッツだろうが、その他何々だろうが、そんなことはどうでもいいんだよ!
オマエがひたすら、この世に与えられた命を大事にし、今この時を生き生きと生きてくれれば、それで十分だ、幸せなんだよ!

※「犬種」問題に触れたところで、誤解のないように言い添えておきたい。
私は去る5月22日に“イール”という雌の小型犬に出会って、初めて「ミニチュア・ピンシャー」なる犬種に関心を持った。そして、犬種間における形質差・多様性の問題に目が行き届くようになった(cf.May22)。
しかし私の場合、けっして犬種なるものを幻想化し実体化するものではない。
私が自らに課す責務は、犬種〜ex.ミニチュア・ピンシャー〜が客観的に実在するという判断を停止し、あくまでも個々の犬〜ex.イール〜の具体的な行動の独自性=本質的特徴をつかみ出すことによって、たんに当の犬種の意味を構成するだけのことである。