「ふるさとの雨」の余韻〜ピンキーと会う〜

6月14日(金)午前9時〜午前11時10分頃、トワ(永遠)の散歩。

雨降りみ降らずみの空模様。小糠雨が庭木の幹を濡らす…。

私はふと、伊藤久男の抒情歌「ふるさとの雨」(作詞:伊野上昇、作曲:田村しげる、1957年発売)が頭に浮かんだ(cf.May12&13)。

〽桃の花咲く ふるさとの
  駅に降りれば こぬか雨
  母が迎える 番傘の
  彼方に煙る 山脈(やまなみ)よ
  あゝ 千筋(ちすじ)の糸の 雨が降る
 
  幼馴染(おさななじみ)の 村の道
  火の見櫓(ひのみやぐら)に そゝぐ雨
  母のねぎらい 受けながら
  やさしく手繰る 思い出よ
  あゝ 白金色(しろがねいろ)の 雨が降る

  麦の青さも 菜の花も
  白い土蔵も ぬらす雨
  母のまつ毛に ちょっぴりと
  光った露も 雨だろか
  あゝ 嬉しい春の 雨が降る

もちろん、そこに歌われた懐かしい情景と私の住まう吉祥寺市街の日常的な情景とでは、違いが歴然としている。
実のところ、私は一瞬なぜか、「こぬか雨」の現実に直面して、その歌の「ふるさと」に私の北海道の生まれ故郷がオーバーラップする思いに駆られていた。

私とトワは雨にめげずに、大きめの洋傘をさしながら、吉祥寺南町3丁目住宅街(百歩坂の路→ジョギング通り→古桜小路→光南小路→ジョギング通り→うぐいす小路)を歩き、井の頭公園三角広場に着く。

広場には雨中とあって、さすがに私以外の誰も見当たらない!

広場を横切り→広場の「三鷹台2号踏切」側出入口付近のGallery&Cafe inoの前を通り→あしはら橋を渡り→あしはら橋付近の“間道”(神田川遊歩道からの分かれ道)を抜け→三鷹市武蔵野市の境界を画定する“坂道”を上りきった地点で、ピンキーと散歩中のTさんと会う。

Tさんは気性の活発な長身の美人。私とは多少の近所づきあいがある。
ピンキーは12歳5か月(トワより約半年年長)の雌のヨークシャー・テリア。トワとは幼時からの、気心の知れた仲だ。
トワとピンキーは、互いに尾っぽを振りあいながら、久しぶりに会えた喜びを共にする。
「雨が降ったり止んだりで、何となく落ち着きませんわね…」とTさん。

トワはピンキーと別れて、平成通りを歩きだす。
しかし10分後、ピンキーの後を追うがごとく、いま進んできた道をUターン、一目散に“坂道”をくだり、“間道”→あしはら橋→ino前→三角広場に引き返す。
そして、すぐに(ピンキーがいないので追いかけるのを諦めたか)広場の夕やけ橋を渡り→神田川遊歩道を歩き→あしはら橋付近の“枝道”を進み→“坂道”を上り(坂道の通過3度目)、午前10時頃に武蔵野市に入る。
続いて、平成通り→公園東通り→百歩坂の路→ジョギング通り→光南小路→本田南公園→百歩坂の路を足の向くままに歩き回り、午前10時50分頃に家路に就く。

トワは適度の降雨なら、身内に元気が目覚めてくるのだろう。実に生き生きと動き回った今日の散歩だった。