「しょうあん1丁目散歩道」/「古桜小路」全長を縦断

10月14日(月)08:00〜10:21、トワ(永遠)の散歩。

空が雲一つなく冴え渡る。青空がまぶしい。爽快な気分に包まれる…。

自宅⇢ 平成通り→公園東通り→みずき小路
→ジョギング通り→(右折して)古桜小路→古桜小路付近の“路地”→ジョギング通り
立教女学院通り→午前8時25分頃〜、杉並区松庵1丁目の住宅街。

トワの場合、ジョギング通り(cf.Oct.12)を直進し(北西→南東)、“古桜小路”との十字路の曲がり角にさしかかると、たいてい左(北東)に曲がり、古桜小路を井ノ頭通り方面をめざして進む。
また時折、その曲がり角を右(南西)に曲がり、古桜小路を公園東通りをめざして歩く。
さらに今回のように、稀なケースだが、その右折先道路=古桜小路の片側(左手)に並ぶ家々の間の路地を幾曲がりかする。

午前8時30分頃、杉並区立「まつぼっくり緑地」を通り抜ける。

午前8時35分頃に松庵を離れ、立教女学院通り→ジョギング通り→“私道”を歩き、午前8時50分頃に井の頭公園“散策路”に着く。
“散策路”に到着するや否や、うぐいす小路に向かう。
うぐいす小路→ジョギング通り→(右折して)古桜小路→古桜小路付近の“路地”(今日2度目の通過)→ジョギング通り→立教女学院通りを歩き、
午前9時10分頃から約30分、再び松庵1丁目の住宅街をぶらつく。
この間、午前9時半頃、松庵公園に立ち寄り、水飲み場で水を一飲みする。

午前9時40分頃、松庵公園前の街路を抜けて、井ノ頭通りに出る。
井ノ頭通りの人道を〜車の往来が激しい車道を横目に〜数分歩く。

続いて、井ノ頭通りの“裏道”(cf.Sep.11)約80m
古桜小路(「井ノ頭通り“裏道”⇔公園東通り」間 )全長約320m*1
→公園東通り約70m
→「立教女学院」西沿いの道路全長約220m
神田川遊歩道付近の路地約50mを通過し、
午前10時頃、神田川遊歩道に出る。

神田川遊歩道→“間道”→“坂道”→平成通り→公園東通り→百歩坂の路をたどり、家路に就く。

松庵(しょうあん)は東京都・杉並区の町名、現行行政地名は松庵1丁目から松庵3丁目。主に住宅地として利用される。
1丁目と2丁目の境を「井ノ頭通り」が、また2丁目と3丁目の境を「五日市街道」が、それぞれ横断している。
トワはこの松庵では、これまで松庵1丁目のみに散歩の足を延ばしてきた。松庵2、3丁目は、かつて何回か動物病院に出向いた際に、さっさと通り過ぎたまでのこと(cf.May31)。
彼は最近なぜか、10月9日から今日まで6日間連続して、「松庵公園」(松庵1-14-22)と「まつぼっくり緑地」(松庵1-16-1)を中心とする松庵1丁目の13番〜16番の住宅街を、足のおもむくままに歩き回る。
おそらく彼は、季節の命じるままに生きているのだろう、ここしばらくは「しょうあん1丁目散歩」を続けるにちがいない。

ところで、問題は「松庵」住宅街を走る一切の道路には名前がない点。「吉祥寺南町3丁目」住宅街の場合とは大きく異なる点だ(cf.Oct.12)。
今後の私としては、彼の通る主要な「しょうあん1丁目」散歩道に、次のような便宜上の【名前】(隅付き括弧)を付けて、その「しょうあん1丁目散歩」の実態を直視することにしたい。

・松庵1丁目全体(ほぼ長方形)の中央を北西から南東に一直線に走る道路(全長約600m≒長方形の長辺length)に、【松庵1丁目通り】命名する。
松庵1丁目には、1番から23番までの街区(ブロック)がある。
松庵1丁目は【松庵1丁目通り】を境に、その北西側半分が西から順に13〜23番街区、その南東側半分が東から順に1〜12番街区である。
ここでは、【松庵1丁目通り】を境にして、西から順に13番と12番、14番と11番、15番と10番、16番と9番、17番と7・8番、18番と6番、19番と5番、20番と4番、21番と3番、22番と2番、23番と1番が、それぞれ接する形になっている。

・松庵1丁目には、街区間を北東から南西に一直線に走る街路(全長約350m≒長方形の短辺width)が10本ある。
10本の街路[西から順に(1)〜(10)]は、それぞれ立教女学院通りに平行して走る。
(1)〜(10)の街路は、それぞれ【松庵1丁目通り】と十字路で直角に交差する。
街路(1)〜街路(10)を構成する北西側および南東側の各街区・街路は、次の通りである。
(1)13番・14番(北西側)間の街路(【13-14街路】と略)―12番・11番(南東側)間の街路(【12-11街路】と略)
(2)14番・15番(北西側)間の街路(【14-15街路】)―11番・10番(南東側)間の街路(【11-10街路】)
(3)15番・16番(北西側)間の街路(【15-16街路】)―10番・9番(南東側)間の街路(【10-9街路】)
(4)16番・17番(北西側)間の街路(【16-17街路】)―9番・8番(南東側)間の街路(【9-8街路】)
(5)17番・18番(北西側)間の街路(【17-18街路】)―7番・6番(南東側)間の街路(【7-6街路】)
(6)18番・19番(北西側)間の街路(【18-19街路】)―6番・5番(南東側)間の街路(【6-5街路】)
(7)19番・20番(北西側)間の街路(【19-20街路】)―5番・4番(南東側)間の街路(【5-4街路】)
(8)20番・21番(北西側)間の街路(【20-21街路】)―4番・3番(南東側)間の街路(【4-3街路】)
(9)21番・22番(北西側)間の街路(【21-22街路】)―3番・2番(南東側)間の街路(【3-2街路】)
(10)22番・23番(北西側)間の街路(【22-23街路】)―2番・1番(南東側)間の街路(【2-1街路】)
ちなみに、8番・7番(南東側)間の街路(【8-7街路】)は、【松庵1丁目通り】と、丁字路で交差する。

(1)〜(10)の北西側街路の各北端は「井ノ頭通り」に、また(1)〜(10)の南東側街路の各南端は通称“立教通り”(cf.Aug.26脚注1)*2に、それぞれ接している。

この1週間ばかり、トワが(ジョギング通り→立教女学院通り→)【松庵1丁目通り】から、現実に足を進めた街路は(1)の【13-14街路】、(2)の【14-15街路】、(3)の【15-16街路】である。なお、彼の通った松庵公園、まつぼっくり緑地は、それぞれ14番街区、16番街区にある。
彼はまた、今まで(前出3街路の他に)年に数回、初冬から初春にかけて、【松庵1丁目通り】か、[(公園東通り→)or(公園東通り⇢久我山4丁目の住宅街→)or(神田川遊歩道久我山4丁目の住宅街→)]“立教通り”を通り抜けて、(5)の【7-6街路】、(6)の【6-5街路】、(7)の【5-4街路】、(8)の【4-3街路】、(10)の【2-1街路】をめぐり歩いてきた。
さらに、彼は以前何度か、もっぱら“立教通り”を通り過ぎて、(2)の【11-10街路】を行き来し、特に11番街区にある「日本聖公会東京教区・聖マーガレット教会*3の周りをうろつき歩いた。

トワは「しょうあん[街路(1)〜街路(10)]散歩」において、これまで全20(北西側10+南東側10)街路中の9(北西側3+南東側6)街路に何らかの形で足跡を印した。
この彼に特徴的なのは、各回の散歩が街路の北西側半分のみor南東側半分のみのいずれかに限定されてきた点。
そこでは、北西側の街路と南東側のそれが一切組み合わされたこともなく、だからまた街路(1)〜(10)の各全長(北西側+南東側)が1度として縦断されたこともなかった。

● 今日の東京の最高気温25.6度、最低気温16.0度。

*1:今回、トワは初めて、古桜小路の全長を縦断する!彼の「古桜小路」散歩は従来、ジョギング通りとの十字路でほぼ二等分される、古桜小路の全長の北半分を主とし、その南半分を従とした。

*2:ここで私は、「立教通り親和会」にならって、“立教通り”〜「立教女学院」正門前から南東に多少うねって続く、杉並区松庵1丁目と同久我山(くがやま)4丁目の境界を区切る道路〜という通称を便宜的に使用したい。なお、この“立教通り”は通称「公園東通り」〜「立教女学院」正門前から井の頭公園・「公園東通り」側出入口まで北西に幾らか屈曲して進む道路〜に、そのまま接続する。

*3:聖マーガレット教会」は1947年7月22日、立教女学院の聖マーガレット礼拝堂を聖堂として、杉並区松庵に設立された。