5月16日(月)08:11〜09:22、トワの散歩

空一面が薄灰色に曇る…。
涼しい空気が漂う…。

自宅発
⇢旧「Y宅」更地【新築用の1区画〈約40坪〉を除く2区画〈約80坪〉cf.Sep.14,2015】(雑草が生える空き地をぶらつくcf.Oct.22,2015、Apr.28、May14,2016)
⇢平成通り
→公園東通
井の頭公園「公園東通り」側出入口
井の頭公園“散策路”
井の頭公園・夕やけ橋
井の頭公園三角広場
井の頭公園・夕やけ橋
井の頭公園“散策路”
井の頭公園「公園東通り」側出入口
→公園東通

※私はトワ(永遠)を抱っこしながら、公園東通り⇒<みずき小路との曲がり角から><「公園東通り」側出入口まで>の坂道(下り坂)を下る
→トワはのんびりとした足取りで、「公園東通り」側出入口を通り抜け、“散策路”をぶらつき、夕やけ橋を渡り、三角広場の西端の公衆トイレ付近まで歩く
→トワは三角広場・公衆トイレ付近を数分ぶらついた直後にUターン、軽やかな足取りで、≪三角広場・西半分→夕やけ橋→“散策路”→「公園東通り」側出入口≫を歩く
→トワはゆったりとした足取りで、公園東通り⇒<「公園東通り」側出入口から><みずき小路との曲がり角まで>の坂道(上り坂)約30mを上る(cf.Feb.29、Mar.1、2、6、12、30、Apr.3、May15,2016)。

→平成通り
⇢自宅前(十数分、前足+後足のマッサージcf.Feb.27,2015)
→帰宅。

◎「Kawakatsu宅」の新築工事41日目(cf.Mar.13、15、May14,2016)。

●今日の東京の最高気温23.3度、最低気温14.2度。

●「仮設用地、確保進まず 熊本10市町村、地震前「未選定」 熊本県などでの一連の地震で、応急仮設住宅を必要とする県内15市町村のうち、10市町村が仮設住宅の建設用地を事前に決めていなかった。各市町村への取材でわかった。東日本大震災後、国は用地の事前選定を求めている。今回、用地の確保が遅れている自治体が出た要因の一つとなったとみられ、避難所生活の長期化にもつながる可能性がある。」(朝日新聞東京本社版2016年5月16日付朝刊1面)

祈る、刻む 熊本、本震1カ月 熊本などでの一連の地震は16日、2回目の震度7を観測した本震から1カ月を迎えた。多数の家屋が倒壊し、阿蘇大橋が崩落するなど被害に見舞われた熊本県阿蘇地方では、今も多くの住民が避難所に身を寄せる。役場や被災現場ではこの日、犠牲者を悼んで祈りを捧げ、花を手向ける姿が見られた。/本震による家屋倒壊や土砂災害で計15人が亡くなった南阿蘇村では16日午前8時、防災行政無線のサイレンが村中に響き、避難所の住民や職員らが犠牲者を悼んで1分間、黙祷(もくとう)した。/役場の災害対策本部では、市原一生副村長ら村職員と応援で派遣されている熊本県などの職員約50人が静かに頭を下げた。長野敏也村長は被災現場で黙祷したという。/市原副村長は派遣の自衛隊や全国の自治体に感謝の言葉を述べたうえで、「夢にも見なかった生活が続いた。1カ月が経ち、仮設住宅の準備など、それなりにレールが敷かれつつある。村民に立ち直ってもらえるよう、これからも全力で頑張る」と、復旧・復興に向け決意を新たにした。/東海大学の学生3人が死亡した南阿蘇村黒川地区では午前7時半前から、学生や教授らが現場に足を運び、手を合わせた。/降り出した雨の中、下宿「新栄荘」を経営する竹原満博さん(55)、伊都子さん(55)夫妻と東海大生約10人が、亡くなった大野睦(りく)さんのアパートを初めてそろって訪れた。/花束と、大野さんが好きだった缶ビールを供えた。学生の中には同じフットサルサークルの仲間もおり、目頭を押さえたり涙をぬぐったりする姿も見られた。/亡くなった清田啓介さん(18)の授業を担当していた農学部の教授(51)も手を合わせた。「学生の思いを背負って、残された者でなるべく早く学べる環境を作ってあげたい」と話し、大学内の片付けに向かった。」(朝日新聞東京本社版2016年5月16日付夕刊1面)