『第五福竜丸』鑑賞

◆ 6月25日(火)午前10時頃〜、
実家=自宅[札幌市の円山(まるやま)の麓]で、
ビデオ映画第五福竜丸
[1959年に公開された日本映画(モノクロ作品)、新藤兼人監督、上映時間115分]
を、十数年?ぶりに観る(2度目の鑑賞)。

1954(昭和29)年3月1日に米軍がビキニ環礁で行なった水爆実験で被曝した遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」とその船員たち23人の悲劇をドキュメンタリー調に描いた、衝撃の問題作。
…多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた船員たちの皮膚は、赤黒い水ぶくれから黒色へと変わる。
そして遂には、無線長の久保山愛吉 (くぼやま・あいきち、1914年6月21日〜1954年9月23日、俳優:宇野重吉)が半年後に、妻・母・子・船員・医師らに見守られながら息を引き取る…。

新藤兼人(しんどう・かねと、1912〜2012)は、1952年の『原爆の子』で、広島原爆被害の遺児を描いた。これは戦後に初めて原爆を直接取り上げた映画だ。
そして『第五福竜丸』では、改めて満腔の怒りを込めて、もう一つの被爆を描き、核の恐怖⇒反核を訴えた。
     

↓ 実際に第五福竜丸被爆した核爆発

↓ 実際に第五福竜丸被爆した核実験のキノコ雲

ああ!それにしても、私はつくづく思う。
日本は広島→長崎→第五福竜丸→福島と何しろ決定的に4度も被曝した世界唯一の国である。
一体全体、日本人はこの一連の大災厄から何を学びとってきたのだろうか…。
世界から「バカは死ななきゃ治らない」と笑わられるのが落ちなのか…。